アニメ『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』のアニメ最新話のオチが微妙、スッキリしない、のは確かだが、それが“この作品は面白くない”に繋げるのはまちがっている。

掲題の件、原作4巻の〆にあたるエピソードで、八幡の人間観察力と卑屈な発想力が問題の根深さに勝る暗〜い解消法を導き出したんだけど、実はこのこと自体は先週までのイタズラメールの件やガハマさんとのすれ違いの件と全然ブレてはいない。
ただ、今までは問題がワンタッチで解決するものだったり横からの助け舟があったりしてハッピーエンドになっているのに対して、今回解消止まりに終わった小学生達の複雑な問題については、ブレない八幡のやり方オンリー&他のアイデアによる軌道修正無しではどうあっても解決にまで持って行けない類の問題であったから、当然の帰結として解決まで至らずに後味悪く映ってしまった、という寸法だ。
極端に「物語は常にハッピーエンド、完全解決、わだかまり全消しでなければならない」という見地に立てば、ややもすると「解決できる問題に留めておいて完全解決してしまわない作者の落ち度」という評価になりがちな今回のオチではあるものの、次々回以降から
“今回の夏合宿メンバー全員が手をこまねいて八幡を助けられずに泥をかぶせてしまった”
という痛みをキャラの重要度に応じてピントを調整しながら分かち合っていく展開に繋がっていっていて、いずれは
「絆を深めた仲間同士だから見える、自分では見えないような持ち味を見つけ出して活かしながら協力し合うことで複雑な問題を根本的な解決に導いていく」
という展開になる、といいなぁと個人的に思っている。
まぁ私の妄想は置いといても、ここで安易にハッピーエンドにしてしまっては、各キャラの痛みを知らないまま内面に踏み込んでいってその場限りのシリアス、意味も無く辛気臭いだけの展開の濫用に転がり落ちていきがちなので、真っ当な作品作りをしていく上でこういうオチが必要だったのは確かだ。
つまり何が言いたかったかというと、

まず、今回の展開にモヤモヤを覚えるのは正しいこと。
原作6巻分のエピソード、アニメの第10話〜最終話において、結果だけを抽出すれば散々なことになる八幡に対して今回以上のモヤモヤは感じるかもしれないけど、それでも微妙に上記の理想展開が垣間見えて、そしていろんな原作既読者がカタルシスを感じたのは確かなので、ぜひ見てみて欲しい。

ということなのだ。